世界で一番変わったジュエラー、藤井一英

はじめまして。

世界で一番変わったジュエラー、藤井一英です。

私はジュエリー専門学校も、宝飾店で勤務したこともありません。

しかし、数多くの希少ジュエリーを製作し、セレブリティーの方々に喜んで頂きました。

映画、コンサートへの作品提供、大手企業ともお取引させて頂きました。

ある時は、アパレルブランドの裏方、果ては、ご依頼を受けて、お客様の会社のM/Aの手伝い、お子様の空手教室までしました。

何故、ジュエリーが作れるようになったかは、おそらく、子供のころからミロ、カンジンスキー、モネ、光る物、輝いている人が好きだったからだと思います。

美術の成績は常にAでした。

夕暮れ時にうっすらと光りだす蛍、暗くなるに従い、次第に光を増して行く蛍は、宙に舞うダイヤモンドようです。

水面に反射する光、飛行機から見る都会の夜景、繊細ですぐになくなってしまう線香花火から花火大会の壮大な光達、どれも時間を忘れさせます。

諸行無常の世の中で、私は“絶対”に憧れを持っています。だから、永遠に輝き続けるダイヤモンドに惹かれ続けているのかもしれません。

世界には私より優れたデザイナーが多くいますが、私ほどユニークな人間は少ないと思います。

今までセレブの方々に喜んで頂いたジュエリーのこと、

そのデザインを表現するための製作時の拘りや技術、

素材の工夫。

チェーンをパーツの一部でなく、ジュエリーにしたいがため4年かかって、やっと巡り合えたチェーンメーカーさんの話。

ちょっと変わったダイヤの話。

難しいジュエリー撮影なのに、すぐに分かり合えたプラハのフォトグラファーや世界no1 private jewelerや234ctのダイヤの話をご紹介して行きたいと思います。